事務局より

平成23年12月号

愛校心

『AERA』10月3日号に大学選びの新たな指標として愛校心が特集され、両横綱は慶応と一橋と名誉な評価を頂きました。愛校心は数値化するのは困難ですが、寄附応募状況、同窓会活動などに現われると思います。同誌では卒業生からの寄附金額ベスト30を掲載していますが、母校の数字が不明なため一橋はランクされておりません。2010年度の個人寄附総額を学部学生数で割ったもので、1位は東大(20,900円)、2位早稲田(19,500円)、3位津田塾(17,700円)、4位東工大(17,000円)となっております。因みに一橋は同じ計算をすると110,000円でダントツになります。
 
次に、種々活動に関しては、5年前に学生も入会出来るようになり、現在では入学時に52%、卒業時に74%と安定しており、学生支援もやり易くなっております。また同時に開始した卒業10周年大会も定着し始め、最近では各年級で盛んになって参りました。今年は、昭和49年卒が卒業37年目に初めて開催し、幹事団の努力によって176名が集いました。40周年を大いに期待したいと思います。また卒業10周年から5年刻みで60周年まで開催され、41年卒45周年は280名/母数(以下同)400名、36年卒50周年は200超/360名、31年卒55周年は156/350名が集合し、26年卒60周年は45/150名で同期の伊藤光晴名誉教授が「原子力発電の経済学」を力強く講義されました。2年後、如水会が一般社団法人に移行するに伴い、総会を構成する評議員は各年次から選挙されることになっており、これら年級の活動は如水会の基盤を支える重要な役割を担っております。

一方、支部活動も変化が見られます。多くの支部の課題であった若手の参加が増えて参りました。支部長、幹事の若返りも大きな要素ですが、各支部とも工夫を凝らしており、これらのノウハウは事務局に蓄積されておりますので、必要な支部におかれましては遠慮なくお問い合わせください。また、海外支部に対しては、母校の先生方が海外出張されるときにご協力頂き、臨時例会を開催、懇談頂いております。また同好会は、運動部OB会が後輩のために施設改修などに動いております。如水会活動の3本の柱である、年次、支部、同好会はそれぞれ活発に動いており、これが愛校心向上に繋がるものと確信しております。(事務局長) 

平成23年11月号

父の卒論

会員の娘さんから事務局に頂いたお礼状は、橋畔随想に掲載したい心温まる内容ですが、ここにその概略をご紹介させて頂きます。

「私の父、西岡恒三(9学)は上田貞次郎ゼミで、昭和20年8月8日、私が生後2カ月の時、ソ連潜水艦の襲撃を受けて戦死しました。母は父を心から尊敬し、機会あるごとに父の素晴らしさを話してくれました。私は年を重ねるごとに、父に近づきたい、もっと知りたいと思うようになりました。そして昭九会、いしぶみの会、如意団、奈良支部の行事に参加のお許しを得て、少しずつ父に近づくようになりました。数年前、父の同期会から卒業論文の存在をお聞きし、大学図書館で探しましたが、見つかりませんでした。
 
この度、中路信氏(32社)のアドバイスにより、如水会の図書室で一橋新聞を閲覧させて頂き、3時間半後に、一橋新聞184号昭和9年3月12日付けで、卒業論文題目、上田(貞)教授研究室、ゼミ生全員のフルネームと卒論タイトルが掲載されており、西岡恒三『国際貸借研究』と記載がありました。私はやっと父に出会えて嬉しい気持ちになりました。

その感謝と喜びを、お世話になっている蜷川親秀氏(22門)に報告しますと、『妙子さんがご自身で発見されたのですから、大きな値打ちがあります。お父上は75年間も埋もれていた勉学の成果をわが娘が探し出して、どんなにお喜びのことか。これ以上ない親孝行をされたのですよ、おめでとう。タイトルは国際貸借研究でしょう。国際間の借款、日露戦争時に英国に日本国債引き受けを成功させたケースなどを掘り下げた、当時としては際どい問題提起だったと思われます。昭和一桁時代は、軍部の圧力が強く、学内でも20名の学生が逮捕、拘留されたそうです。先生はお父上を守るため、卒論を大学図書館ではなく、おそらく他のところに保管されたのではないかと推察できます』とお返事下さいました。

また図書室では上田会編『上田先生の思い出』があり、先生の薫陶を受けられた昭和九年前後のゼミ生の手記も拝読でき、この本と出会うことによって、学生時代の事をわが娘に語ってくれている父の深い愛に気づきました。このように父との絆を深めることができましたのは、多くの如水会員の皆様のお陰です。」
 
西岡妙子さんは会員以上に如水会の行事に参加されております。大学基金にもご協力頂きました。如水会もこうして家族会員が多く参加されることを期待いたします。(事務局長)

平成23年10月号

海外派遣留学制度

会報3月号で、母校の派遣留学生の現状についてご報告致しましたが、その後、大学の第二期中期計画〈学部留学支援体制の充実〉に基づくきめ細かい対応により、改善の兆しが見えてきました。6月に開催された24年度の留学説明会には1年生を含め約300人が参加し、最終的に学部生65名の申し込みがあり、59名が派遣留学予定者に選ばれました。因みに院生は昨年比8名減の7名に留まりました。学部生は昨年比14名増と大幅に増加し、大学が計画している平成24年50名、25年60名、26年70名、27年80名、28年90名の達成は夢ではなくなりました。

留学奨学金として、毎年5千万円(如水会4千万円、明治産業/明産1千万円)を寄附しておりますが、大学の計画通り派遣学生が増加しますと、平成26年には繰越金を含めても資金ショートすることが予想されます。大学は一人当たりの奨学金の減額を提案してきましたが、研修文化委員会で検討した結果、この素晴らしい留学奨学金制度を維持するため、派遣人数が増加しても当面全額助成を継続することを決定し、7月の理事会で承認を得ております。

派遣留学生募集に関して、大学が今回新たに行った対策は、先ず①リードタイムを長くし早めに募集を行い、留学説明会を何度も繰り返したこと、②従来一校志望のところ、第2、第3志望も提出させたこと、③留学期間に重なるゼミ選考に柔軟な対応が一部にあったこと(学生の個別折衝)、④1、2月留学開始の学生に本学期末試験をリポートで代替できる授業があったこと、⑤2次募集も行ったこと(今後更に追加募集も行う予定)、⑥TOEFL強化など語学力向上のための充実したバックアップ、⑦HEPSA(派遣交換留学生の会)学生の自発的協力と彼らとの懇談による意見の収集、などがあげられます。
 
母校の学生は、世間でよく言われる内向きではなかったことに安堵しております。今回の様に告知を前広に行い、チャンスを拡げてあげれば留学希望者は多く存在することがわかり、大学の目標とする平成28年、年間300人(短期留学、語学研修を含む)は充分達成可能と思われます。
 
この制度を利用して留学した卒業生は累積7百名を超えており、今後毎年増えて行くはずです。彼らが独自の基金などを創設し、自らの手で何人かの後輩を海外留学に送り出すようなシステムが将来生まれてくれば、大学の更なる国際化に大いに貢献するものと期待しております。(事務局長) 

平成23年8-9月号

大震災義捐金

未だ大震災からの復興はまだ緒に就いたばかりで、福島第一原発事故の修復も見通しが立たず、電力供給不足の種々影響、放射線問題など被災地は当然のこと、全国民が不安な毎日を送っている状況と思います。

さて、震災直後から開始しました義捐金は、6月27日現在500万円集まりました。皆様のご協力に心から感謝申し上げます。如水会では同額を拠出し、七月末の理事会でその対応を決定する予定です。

この間、大学および被災地各支部から被災情報の収集に努めました。学生は全員無事であることが分かりましたが、8名の学生の家族が被災しており、急遽、大学が大学基金より支援金を提供致しました。一方、各支部では正確な情報を得ることが難しい状況下、色々と調べて頂きました。その概略をご参考までにご報告致します(6月27日現在)。

◇青森支部―直接被災された会員はおられないと思います。被災地は太平洋側で、会員は2名のみ。
地域としては900億円の損害が出たと言われています。

◇山形支部―被害報告はありません。

◇仙台支部―支部長と被災状況とその対応を検討中です。
 厳しい状況下ですが、宮城県出身の新入生歓迎会を是非実施出来るよう計画中です。

◇房総支部―美浜で所々液状化現象が起きましたが、会員からの報告はありません。

◇茨城県南支部―会員からの具体的被害情報は今のところありません。
 しかし、県南では放射線の健康面への影響、作物の風評被害などが依然残っております。

◇岩手支部―関係者の人的被害はありません。支部例会では殆ど震災関連の話で、家族と職場における被災とその対応に関して「しぶつうしん」にまとめます。 木村雅美支部長(47社)が強く訴えたいことは、①現地を見に来て頂きたい! 沿岸部の壊滅的状況を実際に見て頂き、そこから自分は何が出来るかを考えて頂きたい。②ボランティアという支援も考えて頂きたい! 3カ月が過ぎ、ボランティアの受け入れが可能となっています。盛岡、遠野からボランティア用のバスも運行されています。
 
木村支部長の訴えは心にズシンと来ました。義捐金集めも必要ですが、確かに自分は何が出来るかの前に現場を見ることは重要かもしれません。今後、長丁場の支援を続けるためにも。(事務局長) 

平成23年7月号

一橋大学後援会

当会は昭和31年11月28日に文部大臣の認可を受け、財団法人として設置されました。初代理事長は村田省蔵(明33)、以降歴代如水会理事長が当会の理事長を務めて参りました。設立の経緯は、「一橋大学学制史資料」によりますと、母校経済研究所の建物新設の際、文部省予算では足りず、東京商科大学奨学財団の援助が必要となり、この経験から既存の財団に多くを望むのは無理があると判断され、当時の井藤半弥学長が如水会理事長、村田省蔵および菅礼之助(明38)他有力な役員と諮った上で設立されました。

その資金募集趣意書で、母校がわが国および世界で一流の大学たる地位を維持し更に発展するための最大の障害をなすものは資金不足であり、そのために相当の発展資金を得て、念願実現のために充てる必要に迫られていると訴え、基金募集を行いました。募金目標額は1.5億円でしたが、最終的に4.7億円と目標の3倍を超える成果を収めました。当資料には、「まさに、募金関係者の母校を愛し、己を捨てての尊い奮闘と努力を称え、これらの方々のお骨折りを深く銘記せねばならない」と書かれております。
 
それから55年後、現在も大学基金募金が行われており、大学を取り巻く厳しい環境、および卒業生の母校を想う気持ちは昔も今も全く変わらないことが実感できます。後援会は現在五億強の正味財産を保有し、毎年、母校の発展のため支援を行っております。特に最近では一般寄附の他、吹野基金(1億円、全学的な国際共同研究)など使途を特定した「特定寄附金」も多くなっております。また学生の課外活動(部活)を支援する寄附も、柔道部、硬式庭球部、バスケット部、陸上競技部、硬式野球部、空手道部、応援部、アイセック、美術部、国際部などに見られます。皆様のクラブの後輩たちを想う心は、この特定寄附金を通じて達成できると思います。是非ご利用くださるようお願いします。

今回の公益法人改革で、後援会は新公益法人へ移行するため6月20日の役員会で承認を得て、内閣府に申請し、公益財団法人として二四年春に認定取得のため準備を進めております。一方、如水会は一般社団法人の認可を申請致しますが、今後も両組織が協力し母校を支援して行きたいと思います。皆様のご協力、ご支援を宜しくお願い致します。(事務局長)

平成23年6月号

節電努力

大震災から2カ月ほど経過、被災地では、災害の規模と度重なる余震にもかかわらず、復興の兆しが見えてきたことに感動しております。一方、原発事故は改善の見通しが立たず落ち着かない毎日ですが、この夏は突然の停電を避けるため、真剣な節電対策が求められております。如水会ビルは指定地球温暖化対策事業所(年間原油換算1,500kl以上使用)として都条例による炭酸ガス削減義務に従い、かなり省エネが進んでいる状況で、AAの評価を得ております。その上更なる節電は通常の努力では達成が困難な状態です。

如水会ビルは大規模需要家(500kWh以上)として15%削減が義務付けられると思われます。如水会はテナント4社と東京會舘の協力を得て、震災直後から対策を講じて参りました。如水会ビルの昨年月間最大使用量は7月で451,352kWh、15%の場合は67,800kWh削減する必要があります。震災後実施した削減量は、3月15日から1カ月間で58,000kWh、追加必要削減量は9,800kWh、一方、テナントの人員増なども予想され、11,000kWh程度の追加削減が必要と推測しております。

このため、多少経費がかかりますが、冷却水ポンプのインバータ化、更なるLED化、照明の追加間引き、熱交換器運転制御、冷房設定温度の変更などにより、15,800kWhの追加削減が可能とみております。更に図書室夏季閉鎖、囲碁室、一橋クラブの営業時間短縮などが考えられますが、会員の皆様のご不便はなるべく避けたいと考えております。

また電力使用量削減に加えて、ピーク時の対応が求められます。昨年の如水会ビルの7月から9月のピーク平均は、午後2時で1,235kW、これから15%削減しますと1,050kWとなります。因みに最近の節電後冷房なしのピーク時は658kW、これに冷房電力405kW(昨年の24.5度設定時)を加えますと1,063kWとなり、多少超過します。如水会ビルはガス冷房を利用しており多少有利なため、26度前後の設定でスタートすることを考えております。

震災直後から節電対策として、照明の40%削減、エレベーター時間休止、給湯、便座暖房中止など実行中ですが、今や余り不便ではなくなり、電気に依存し過ぎてきたことが実感出来ます。但し、この夏の空調は、通勤電車でも冷房が利かず、熱中症の恐れもあり、慎重に対処する必要があると思っております。(事務局長) 

平成23年5月号

大震災―その日

3月11日午後2時46分、突然の地震に局員の間に緊張が走りました。未経験の長い大きな揺れは、何かに掴まっていないと立っていられない状況でした。窓越しの首都高速道路が波打っているように見えました。激しい揺れが収まった直後、台場方面に黒い煙が上がりました。これは大変なことになると思いましたが、事務局室内は棚類を全て固定してあるため、落下物はなく大きな揺れが嘘のようでした。
 
直ぐにテレビを見ると震源地は東北沖、M8.8(後9.0に訂正)と分かり、2004年に発生したスマトラ島沖地震大津波を思い出し、大災害になると予感しました。その後余震や原発被災も報道され、都心の交通網も大混乱になりつつありました。この時点で既に電話、携帯は通話が難しくなり、局員全員が家族と連絡を取るには相当の時間を要しました。PCメールと常設の災害電話が時々利用出来、大いに助かりました。
 
発生が2時台であったため、地下囲碁室と14階には僅かな会員がおりましたが、2階では2つの団体(200名)、3階でも2つの団体(60名)が会合や懇親会を開催中で、その他を含め約300名(テナントは除く)が館内に閉じ込められました。14階では貴重な絵画を壁から降ろすなど従業員の迅速な行動により、食器類、飲料破損、シャンデリアの変形などを除き大きな被害はありませんでした。
 
4時ごろになると残留者は2階ロビーのテレビ報道にくぎ付けでしたが、皆さん落ち着いていました。暫くすると徒歩覚悟で帰宅する人も現れ、最終的には150名程が残りました。また付近にいた就活の母校学生や蔵前工業会の会員なども緊急避難してまいりました。東京會舘と相談し、残留者に宿泊場所の提供を決め、女性はスターホール、男性はオリオンルームと分け、24時間暖房を実施致しました。東京會舘から水とお湯が提供され、1階の「マーキュリー」で飲食も出来るため、残留者は余り不安なく過ごせたのではないかと思っております。
 
翌日、この震災が想像を絶する事態であることが判明、14日、1橋大学後援会役員会後、理事長と直ちに義捐金募集を決定致しました。 今回被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。(事務局長) 
 
4月1日付けで事務局長の兼務を解き、秦哲也氏(50社)が業務部長として着任致しました。どうぞ、宜しくお願い申し上げます。(事務局長) 

平成23年4月号

山口信夫先輩を偲ぶ会

山口信夫さん(27学)は昨年九月十四日、誠に残念ながら心不全でお亡くなりになり、十一月十九日には旭化成、日本商工会議所により盛大なお別れ会がとり行われました。如水会員も山口さんのご冥福をお祈りしたい気持ちから、有志が発起人となり、二月十日、如水会館オリオンルームに四十七名の関係者が集まり偲ぶ会が行われました。
 
黙祷を捧げた後、発起人代表として奥田碩さん(30商)より山口さんが陸軍士官学校を首席で卒業されたこと、苦難のシベリア抑留時代、東京商科大学入学、旭化成時代、経済界でのご功績等を紹介されました。引き続き弔辞を頂戴しましたが、石原慎太郎都知事(31法)はいつも困難に遭遇した時は陰ながら激励されたこと、同期代表の大澤俊夫さん(27学)は陸軍士官学校時代と同期会の逸話と続き、献杯は髙橋宏さん(31商)のご発声で行われました。
 
山口さんのお人柄でしょうか、奥田さんのご挨拶終了後、一部の方から小さな拍手が起こりました。偲ぶ会では通常拍手はしませんので、司会者として一瞬判断に迷いましたが、山口先輩にはいつもの笑顔でお許し頂けるものと、拍手を誘導いたしました。その後のご挨拶でも拍手が起こり、失礼かとは思いつつも、清々しい雰囲気の中で粛々と進行することができました。また同期の川上哲郎さん、間野雄次郎さん、旭化成で後輩の宮坂真也さん(38法)から飛び入りの弔辞、飯島満さん(30経)の詩吟「哀悼の詩」が披露され、山口さんを心から大いに「偲ぶ」会となりました。
 
如水会では理事のご要職にご就任頂くよう再三お願いしましたが、陰ながら支援されるということで、会の役員には就いて頂けませんでした。しかし、母校を支援する強い使命感に基づき、寄付関連事業では、一二五周年記念、重要施設関連とも役員をお引き受け頂き、今回の基金支援会でも特別顧問として、大変ご尽力頂きました。心よりご冥福をお祈りいたします。(事務局長) 

平成23年3月号

派遣留学生

世の中は国際化を超えて、特に経済や教育は国境のないグローバルな世界に入ってきました。母校もグローバル化に対応すべく更なる努力をしております。元々母校の原点である商法講習所は、当時の不平等な外国貿易取引を是正すべく、人材育成のため設立されたもので、そのDNAは一橋会歌「いざ雄飛せん五大州」に象徴されるように、今でも引き継がれていると確信しております。

教育面に関して申し上げますと、母校では二〇一〇年に海外協定校を八校増やし四四校とし、派遣枠は年間九六名となっております。しかし二〇一一年、派遣留学合格者は学部三九名、院生一四名合計五三名で派遣枠に達しておりません。派遣留学生数は二〇〇七年三五名、その後徐々に増加しておりますが、二〇一一年は枠が増加したにもかかわらず、残念ながら約四〇名も未消化の状態です。全国的な傾向として留学希望者が少ないことが基本にはあるのでしょうが、提携校が超一流のため派遣先大学の受け入れ基準をクリアできないケースもあることが実情かと思われます。母校に入学する学生は、英語は全国受験生のなかでもトップクラスといわれておりますが、残念ながらそれでもこの状態です。
 
この貴重な枠を有効利用するためには、更なる学生の学力、とりわけ手段としての英語力をアップする必要があるわけですが、一流にこだわらず、少しレベルを下げた提携校も視野にいれる必要があるかもしれません。現に日本人の多い一流校よりも、アメリカの日本人学生の極めて少ないローカル大学の方が学生にとって素晴らしい経験になることも多々あります。学生の英語力アップに関しましては、新入生の夏季休暇を利用した基礎学力の向上など、他校に先駆けた抜本的な対策を期待したいと思います。
 
母校では、留学生を現在の一五〇名から三〇〇名に増やすことを計画しております。一五〇名のうち、如水会(明治産業も含む)奨学金で長期留学する学生は五〇名ほどです。残りは短期留学と語学研修です。如水会はできるだけ多くの学生に長期留学をして欲しいと願っております。二〇一二年以降の奨学金に関して、いかに有効活用するか、大学のグローバル対策を基本として、研修文化委員会を中心に大学と真剣に検討し、二〇一三年に向けた対策を八月頃に結論を出す予定です。
皆様のご支援、ご協力宜しくお願い申し上げます。(事務局長) 

平成23年2月号

寮歌祭

 
全国寮歌祭は昨年十月十一日、第五十回を迎えて残念ながら幕を閉じました。如水会は、毎年十月に開催される東京校歌祭(旧制府立中学校歌)に東京大学と共に特別招待されておりますので、この日に合わせて寮歌を愛する皆様に寮歌熱唱の機会をご提供する計画です。一方、各地で寮歌祭が中止になる中、信州寮歌祭も六月十二日、第二十五回をもって最終となりました。松本市には旧松本高等学校校舎が保存されており、その校舎(校長室と教室)および講堂は、平成十九年六月に重要文化財に指定されました。その敷地内にレンガ造りの「旧制高等学校記念館」があり、多くの旧制高等学校の資料が展示されております。
 
信州寮歌祭に度々参加された丹治清吉先輩(26門・28経)がこの記念館に一橋に関する資料が殆どないことを残念に思われ、先ず昨年三月に校章(帽章)寄贈の申し入れを行い、当時の熊谷館長から快くお受け頂き、「商大予科が開館以来十六年経過してようやく展示に加わることができ、感激の至り」との礼状を頂いたそうです。
 
その後、丹治先輩は本格的に資料の収集を開始されました。このお話を伺い、会報「ラウンジ」欄を有効活用されることをお勧めし、七月号で会員に声をかけられました。その結果、文献二点、寮史・記念文集三点、新聞三点、寮生活アルバム三点が集まりました。
 
貴重な資料提供にご協力された方々は下記の通りです(敬称略)。水田洋(16学後)、嶺昌雄(17門)、佐藤繁男、瀬沼寿雄(23学)、長田五郎、中村敬太郎(25学)、佐藤守、中村謹三(26学)、福沢誠、大澤俊夫(27学)、平山晴夫(28商)、上岡修(45成城大)、以上十二名。
 
丹治先輩は提供された資料の紛失などを危惧され、事故防止の見地から郵送ではなく直接持参して寄贈することとし、十一月二十四日、旧制高等学校記念館を訪れ、藤波新館長にリストと共に資料を寄贈されました。藤波館長は資料を全てお受けになりましたが、当館の常設資料はパネル展示が中心であり、提供資料をそのまま展示できない旨お話があったそうです。また当館では平成二十四年に展示改修を行う予定であり、今後どのように展示するか、展示担当委員とも相談するとのことですので、そのフォローをどうするかが課題に残ると思われます。丹治先輩のご尽力により、十六年間の空白が一応埋まりました。有難うございました。会員の皆様も信州旅行の折には、是非旧制高等学校記念館に足をお運び頂きたいと思います。(事務局長) 

平成23年1月号

年頭にあたり

新年おめでとうございます。
昨年は十四階の一橋クラブの改修、一般社団法人への移行作業、東工大との合同移動講座、母校創立一三五周年記念事業支援、大学基金支援など重要案件がございましたが、お陰さまで何とかこなしてまいりました。特に基金支援に関しましては、支援会幹事の皆様のボランティア精神あふれたご尽力により、約四十億円が集まりました。目標達成には道半ばですが、本当に頭の下がる思いがします。募金活動は精神的にもハードな作業ですが、一方、それを通じて会員の皆様の色々な母校に対する思いに接し、如水会の良さに触れることができ、救われる思いがします。
 
支援会幹事の皆様が感動した幾つかの例をあげてみます。昨年四月、白寿のお祝いに大先輩のお宅に伺いましたが、この先輩は会報をよく読まれており、「大学も大変だなあ」と言われ、その場で多額のご寄附をされました。また十一月恒例により米寿祝をお送りしましたところ、返礼として熟慮された結果、母校が悩んでいる大学基金への寄附が適当と思われ、寄附された先輩もおられます。また五十年卒のある会員は、学業に興味を失い退学届を提出したところ、退学は何時でもできるから休学届として預かると言われ、結果的に卒業し今日の自分がある、その感謝の気持ちから寄附されました。また平成十年卒の会員は、母校の留学制度を利用し英語力を高め、更に一橋ブランドのお陰で希望の職種にも就け、払った学費の何倍もの恩恵を母校から受けており、卒業生が出世払いで寄附することは理にかなっていると言われております。
 
寄附に関しましては、残念ながらまだ大先輩方に頼っているのが現状です。若い人たちに母校愛がなくなってきたのは価値観の多様化だと納得してしまうのは簡単ですが、大学サイドにも問題がありそうです。如水会寄附講義「社会実践論」では、夏、冬期最初の講義は『東京商科大学予科の精神と風土』を課題図書として使用しており、年間約二百名の一年生が読んでおります。殆ど偏差値で入学してきた学生が、この書を読み、母校の苦難の歴史を知った時、先輩への感謝、誇りと責任、学問に対する意欲が湧くのが感想文から実感できます。ある韓国人留学生(3年)は、日本に来て、自国のことを余りにも知らないことに恥をかいたが、卒業して母校のことを知らない恥をかくことがないようにしたいと述べています。できれば「一橋大学学生募集要項」に母校の歴史と誇りを掲載し、高校生が一橋がどのような大学かを知り、納得して入学できればと願っております。(事務局長) 

★その他の掲載分は下記をご覧ください★

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