日時 |
開始
2019/06/08土 07:00
終了予定
2019/06/08土20:00
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開催場所 | 群馬県太田市世良田・徳川郷[新田莊) |
群馬県太田市は、栃木県、埼玉県との境に位置し、その南部を利根川が流れる町である。新田氏がその本拠を構え、徳川氏発祥の地としても知られ、また、SUBARUの企業城下町でも知られている。新田莊遺跡群は国指定の遺跡となっていて、11の遺跡、寺社、施設がその対象となっている。太田市は呑龍様、大光院の門前町として、日光例幣使街道の宿場町としても栄えたところである。平成の合併後の市域は非常に広いため、全部見尽くすことは大変難しいので、新田莊遺跡群や徳川氏発祥の地を中心に訪れた。
世良田駅(0:15)八坂神社(0:15)新田氏館跡・総持寺(0:25)長楽寺・世良田東照宮・新田莊歴史資料館(0:15)平塚公園(0:15)徳川橋(0:10)永徳寺(0:10)縁切り寺満徳寺・同資料館(0:10)徳川町東照宮(0:05)徳川氏館跡(0:25)普門寺前(0:30)世良田駅:総歩行時間:2時間55分、総所要時間:6時間、
八坂神社:25分、総持寺:10分、長楽寺:15分、世良田東照宮:25分、新田莊歴史博物館:40分、昼食:25分、永徳寺:10分、満徳寺:25分、徳川町東照宮:5分、徳川氏館跡:5分、見学時間等合計3時間5分。駅前を9時55分に出発、戻ってきたのは15時55分であった。
新田荘は、平安時代末期の12世紀中頃に成立した新田氏の荘園である。源義国 の子新田義重は、旧新田郡南西部の早川・石田川流域を再開発して19郷を支配下におき、その後さらに37郷を開発し、旧新田郡のほぼ全域と旧太田市の南西部を荘園化した。鎌倉幕府討幕で有名な新田義貞は、義重から8代目に当たる。新田莊遺跡は、「新田荘」に関連する寺社境内・館跡・湧水地など11の遺跡から構成されていて、その特徴は、広域に存在する複数の中世遺跡を荘園として面的にとらえ、一つの史跡としたところにある。また、新田莊に隣接する太田市内の尾島地域は、中世より新田一族の荘園の主要地の一つであり、江戸時代には、世良田・徳川の地が「徳川義季(新田克季)」の流れを引くことから、『徳川発祥の地』として、徳川幕府の厚い庇護を受けて栄えた。東照宮をはじめとする、当時の威光を示す数多くの史跡が点在し、また、江戸時代、津軽藩の飛び地がこの地域にあった。
私達はこれらの史跡や甚、神社を一つ一つ見て回った。